NO.10

    京都市で一番元気な最高齢者である私(106歳の老人)の
    タワゴトに御興味ある方は下記の文章に目を通してください。

敗戦と桑の実
                           川村 
治郎

  夏の風物詩「大文字五山送り火」が8月16日京都市街を取り巻く山々で繰り
広げられました。お盆に、迎えた先祖の精霊を送り出す京都の伝統行事です。
浮かび上がった〔大〕をわが家から眺めながら過去の8月の出来事に思いを
めぐらしました。

 昭和20年(1945年)8月15日の敗戦。その前の6日の広島、9日の長崎の原
爆投下。もう半世紀以上も前のことです。人はどんな悲しい事も時と共にその
思い出は薄らぐと言われていますが、昭和20年の8月のこれらの出来:事は私の
心の中では時と共に強烈な思い出として残り、決して忘れることは出来ないの
です

 その当時はダイエットなどに気を使う必要はなく、殆どの人が食料不足でヤ
セており、栄養失調のためか多くの人の顔にはデキモノができていました。白
米を食べることなどは夢のまた夢で、茶碗の中の米を探さなければならないく
らいの大根・芋のゾウスイ(雑炊)をすすり、命をつないでいました。

 今考えてみるとこの頃の粗食が私に106歳の健康を与えてくれたのかもしれ
ません。飽食の時代である今では想像もできないモノ(雑草やサツマイモの茎、
バッタ、蚕のサナギ等)を食べていました。食料が豊かな戦争前、私は病弱だっ
たのです。

 そういえば「絶食時の人間は伝染病にかかりにくい」という話をある医学博
士から聞いたことがあります。人は食べすぎより、食べなさすぎの方が太りす
ぎることもなく体にはよいのでしょう。

 終戦の日は名古屋で迎えました。当時私は京都から名古屋の支店長(銀行)
に任命されていたからです。空襲を逃れわが家は名古屋から犬山に疎開してい
ましたので、私は犬山から今では想像も出来ない超満員電車で2時間をかけて
名古屋に通勤していたのです。犬山は絹の産地でしたから、蚕の餌である桑の
木に囲まれて生活していました。ですから桑の実には恵まれ、口が真っ赤にな
るくらい食べたことも思い出の一つです。

 今考えてみるとこの「桑の実」でビタミンCを豊富に摂取していたのでしょ
う。当時はアセロラの存在を知りませんでしたが、「桑の実」がアセロラの変
わりをしてくれていたのでしょう。終戦後も食料難でしたがこの桑の実のため
に私はますます健康な体を作り上げることができたのではないかと思います。

 今でもビタミンCは健康の元であると信じています。アセロラを愛飲し続け
今年の11月107歳の誕生日を健康で迎えられるよう祈っています。